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  • 執筆者の写真茶の湯の郷 自由な茶人コミュニティ

わたしの茶の道

※2020年10月に制作した玄滴庵の文集『嘉木』より掲載しています。


🍃🍃🍃


「茶道をやっているよ。」


友人との世間話の時に、何の話題だったかは忘れてしまいましたが、こう答えたことがありました。


「あぁ!だからか!」


それを聞いた彼女は納得したという反応でそう言いました。「どういう意味?」と尋ねると、どうやら、わたしと接する中でわたしの振る舞いの中になにか”良いもの“を感じてくれていたそうで、それが『茶道をやっている人』ということが判明したときに合点がいったということのようでした。


それを聞いたときに、「へー!」という驚きと、「嬉しい!」という喜びの気持ちがわきました。


茶道をやる前のわたしを振り返ると、頑張って格好つける、幼少期から少女というよりは少年、ガサツ、強く見せたい、こなしたい、優秀でありたい、そんな気質で生きていたように思います。それが自分を作ってくれてきたのも承知しているのでそういう自分を否定することはありませんでしたが、三十歳を過ぎた頃から、あぁ何かおかしい、なんかうまくいかない、何か違う気がする、このままでいいのだろうか(いや、きっといけない)、そういったもやもやとしたブレーキを掛けるような気持ちになることが増えていました。

当時のわたしは仕事に邁進していて、少しの結果もだし、一部では評価もしてもらい、一見するとこのままで良いような、ブレーキではなくむしろ今こそアクセルを踏んでもうひと頑張りせよ!という周りからの期待を感じて生きていたように思います。


でも、自分としては悪い点ばかりが目につき、気になり、なんか思っていたのと違う、良いことよりも実は問題の方が山積みなんだって!とひとり困惑していました。この『ひとり』がそもそもおかしくて。今思えば、けっしてひとりではなく頼るべき人はたくさんいたのですが、格好つける気質が悪い方に働いて、問題も、戸惑いも、弱音も、適切な人には出せていませんでした。


そんな折、ご縁あってわたしは中川さんに出逢わせていただきました。共通の知り合いである男性から、「つかさちゃんは中川さんと知り合っておくといいと思うよ。」と、最初は茶道を勧められたわけでなく、中川さんその人のご紹介でした。


その頃のわたしは茶道について全く知らず、実のところ興味・関心もなく、実際に茶道を教わり出したのは知り合ってから半年は過ぎていたのではないかと思います。中川さんが千鳥ヶ淵で行われた戦後七十周年の戦没者への奉仕茶会の茶席の一つを頼まれ受けられた際に、人手として加わることになったのがきっかけです。お手伝いをするにも、茶道のことを何も知らないのでは動けないと思い、そこから習うことになりました。『頑張って格好つける』の気質はここでも働いたのか、一生懸命覚えようと、最初の頃は毎週お稽古に通いました。もしかしたら、毎日のもやもやとした気持ちから逃げたかったのかもしれません。


茶室に入ってお稽古をつけていただいている間は、自然と雑念が消えていきました。注意が散漫になっていたり、変に力が入っていると、お点前中に手順を忘れたり、柄杓がうまく持てなかったり、茶筅がコロッと倒れたり、色んなことが「起きてくれる」ので、いい意味で目の前の一つ一つに集中せざるをえないのです。最初の頃は本当にうまくいかなくて、何度もミスをしては『テヘペロ』とするわたしに(本来、あまり落ち込むタイプではない)、中川先生はいつも『ふふふ』と微笑んで、「もう一度やってみて」と促してくれます。お稽古中、その安心感に包まれることと、茶道の在り方、精神性に触れることで、平易な言葉で大変恐縮ですが、『自然体なわたし』というものを知り得てこれたように思います。お稽古中にそのような状態になったわたしは、お稽古の後はもうすっかり『素』です。格好つけたい自分は剥がれ、素のわたしの言葉を話せるようになり、また中川さんも茶道以外の話もたくさん聞いてくださいました。中川さんの家は、2階が茶室で、1階がカウンセリングルームさながらです。


きっかけはお手伝いでしたが、その茶会が終わってもういいやとはならず、気がつけば今年で六年通わせていただいています。その間に他のお稽古生との交流が深まったり、社中の茶会にて新しい経験をさせていただいたりと、茶道を通して新しい世界を知り、今なお、お勉強させていただいています。

その間に、あの頃感じた違和感の正体には、おかげさまで気がつくことができました。やはり、違っていたんだと。理想・妄想の『あるべき姿』にならなければと演じるように生きていたわたしの根っこの部分が、サイレンを鳴らしていたようです。そんな風に無理して作らなくても、自然体のままで大丈夫、むしろ自然体のままの方が、楽で、豊かで、事もうまくいくんだと。そういう感覚を取り戻すことが徐々にできるようになりました。また、あの頃ひとりのような気がしてしまっていたのが、そんなことはなかったという気づきと、無条件の信頼という感覚を体験的に持つことができるようにもなりました。これはあの茶室で、繰り返しのお点前を通すことで、中川先生から、お稽古のお仲間から、お道具から、導かれるように教えてもらえました。本当に感謝しています。ありがとうございます。


このような感覚は、今ではあの茶室では自然と全開です。あのお茶室はすごい!ですが、あの場から出て日常に帰ると、うっ・・・(またやってしまった)となることがあり、そんな時はまた茶室が恋しくなります。ですが、冒頭の友人からの一言で、あぁわたしの気づかない部分でも、どこかしら身についたところがあって、茶室を離れた日常でもあの感覚で生きれるようになってきたかな、それが接する人にも良いはたらきを起こせてきているのかな、だとしたら嬉しいな、と思えたのです。


わたしは本を読むのが好きで毎日本を読みますが、違和感を感じていた頃はなんとか解決したいものですから、特に夢中になって生き方や在り方に関する本を読んでしました。ですが、ただ知識を入れるだけではこの感覚にはなっていないと思います。自然体のわたしになるのに、もっともっと時間が掛かっていたのではないかと思います。わたしの場合はありがたいことに同時に茶道をやれたことで、本から得られた知識がお茶のお稽古を通じても試せ、体験的にも分かり、腑に落ち、身に付いてこられたのだと感じています。


茶道でなくても、人によっては子育てだったり、恋愛だったり、何かの趣味であったり、仕事やビジネスに夢中になることなどでも得られる感覚かもしれない。人それぞれだろうな、とも思います。わたしには茶道だったということです。ですが、わたしにはそうだったように、また誰かにとっても茶道が気付きや力になることがあるだろうな、と思うので、茶人としてはまだまだまだまだまだまだまだの身ではありますが、そこはこれからも精進していくとして、中川先生や先人たち、茶道そのものからいただいた恩送りとして、今のわたしにもできることから、茶道の魅力を伝え広めていく側にまわりたいと思うようになりました。どうやらそのような流れにもなっているようです。わたしの茶の道はこれからも続きます。引き続き、どうぞよろしくお願い致します。




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