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  • 執筆者の写真茶の湯の郷 自由な茶人コミュニティ

初めてのお茶席で体験した素敵なこと

更新日:2021年6月28日

こんにちは。佐藤宗心です。


今日は、私が当社中の茶会に初めて参加した時のお話を書き綴ってみたいと思います。

少し長くなっていますが、よろしければお付き合いください。

2017年12月。私がお稽古を始めて数か月。

かねてから、師・宗秀とご友人の智子さんが計画されていた『茶の湯の会』に

参加することになりました。


当時は、知識も経験も何もかもほぼ皆無に等しく、

初心者にも辿り着けていないような状態にもかかわらず、

「良い体験になるわよ」と師匠にお誘いいただき、参加したのでした。

それも「受付」の一人という役割まで頂戴し、、、

お着物も時間をかけて、ようやく一人で着られるようになっていた頃でした。


早朝から起きだして、なかなか決まらない腰ひも、帯に焦りながら、

必死に着付けをし、待ち合わせ場所まで向かったことを今でもよく覚えています。

会場は、上野の国立博物館にある「転合庵」というお茶室でした。

小堀遠州さんの建てた茶室をそのまま移設した素敵なお茶室です。

今思えば、もっとよくじっくり見ればよかったと思うのですが、

緊張で、味わうことなんぞできる余裕もありませんでした。

今度行ったときには、舐めるように見て、楽しみたいと願うばかりです。


そんな中、「茶席も経験してご覧なさい」と、師匠のはからいで、その日の一席に組み込んでいただけたのでした。


実は、その茶席に入られた方は、皆さん長年、茶の湯の道を歩まれていた先輩方ばかりのお席だったのです。数十年、道を歩かれている裏千家の方お二人、江戸千家の方お二人。

とにかく、大緊張の元、路地を抜け、蹲踞(つくばい)で手と口を清め、見様見真似で、詰めの席に座りました。「えっ、詰めに?!」と思われた皆様、まさにその通りでございます(笑)本当によく参加したなと今でも思います。あな、おそろしや・・・。


今だに、気づかぬ失礼があったのではないかと思うと、冷や汗が出そうです。

ですが、大切な「初体験」を変なプライドで台無しにすることだけは避けたく、わからないことは正直にわからないまま行こう、格好つけずにいようと、ただその気持ちだけを従えての参加でした。


2畳半の小間のお席に客が5人。

お正客の方のご挨拶、半東さんから運ばれてくる菓子、お茶、回ってくるお茶碗。亭主からの本日の会記の説明。まぁ目まぐるしい。ずっと緊張しっぱなしでした。何事も初めての体験の際には、いつも圧倒されるのですが、この日は、記憶がところどころ飛んでいます。


ですが、この時にあった2つのことだけは、今でもはっきりと覚えています。


それは、どちらも、お点前最終版の『拝見』の際にありました。


拝見とは、お点前の最後に、客がそのお席で使用されたお道具(茶入や茶杓など)を見せてもらうための時間で、亭主が点前後に、そのお道具だけ残し、他の道具を片付けます。そうして、主客(客の代表のような人)から順番に、その日使われたお道具を見ていくのです。最初に裏千家の方が拝見し、その後、江戸千家の方が拝見する並びになっていました。

江戸千家では、茶入の下に、使い帛紗を敷くことがあります。それは、茶器を丁重に扱うといった心を表すものなのだと思うのですが、江戸千家の方が自然にそのように扱っておられるのを見て、裏千家の主客の方が、「素敵ですね。裏千家にはその作法は無いのですが、今度、真似をしたいと思いました」とお話されました。これまでの社会生活で、「違い」に対する厳しさや不寛容に出会うことも多くありました。ですが、その日の茶席の場では、「違い」というものを目くじら立ててみるのではなく、心のついた作法や茶器の扱いを真ん中に置いて、心通い合う交流が生まれる瞬間に立ち会えたことに、いたく感動したのでした。


そして、もう1つは、私が何も知らないまま「詰め」に座ったことで、拝見のお道具を亭主に返す作法を知らないという恐ろしい事態に遭遇した時のことです。(通常ですと、初心者が詰めを務めることはないはずです。大事な役割があるので、点前をしっかり知っていなければ務まらないからです)

その時の私は、拝見すらよくわかっておらず、何をすればよいのかわからず、さぁ~っと体温が引いていきました。そんな私を見て、江戸千家の先輩が「私の方からお返ししましょうか?」と笑顔で一声かけてくださいました。「よろしくお願いいたします。ありがとうございます。」と答えるのが精いっぱいでした。その方は、押し付けるわけでもなく、嫌味もなく、知らないことを責めるような雰囲気ももちろんなく、私への声掛けから、お道具を返すまでをただただ自然にしてくださったのです。

緊張していて、お礼をちゃんとお伝えできていたかも怪しいのですが、その後、その方が師・宗秀と同じ師に学び、師亡き後も、一緒に学んで来られたご友人であったことを知りました。それから1年経って、不白忌(流祖・川上不白の命日にちなみ、献茶などを行う会)に参加した際にこの方をお見掛けし、師匠にお願いして、この時のお礼を改めてお伝えすることができました。その時もその方は、素敵な笑顔で、私の想いを受け止めてくださいました。


ほぼ、まっさらな状態で体験をしたお茶会は、今思っても、顔から火が出そうになります。その日は家に着くと、緊張から解かれ、どしっとした疲労が身体に広がりました。同時にこれから習うこと、学ぶことがたくさんあることを深く深く実感しました。茶道という道にいること、その道の果てしなさに少し慄きましたが、一方で道の途中で出逢えるものがあることに嬉しさを感じました。そして、いくら学びが進んだとしても、お茶の席という、そこに在る人たちで作り上げていく空間、場に、奢ることなく居続けようと思いました。茶席で、助けてくださった先輩のように、風や陽ざしのように心地よく、 自然に心を寄せ、 人やもの、世界と関われる自分に出逢えたら嬉しい限りです。今もまだまだ道半ば、これからも一歩一歩歩みを重ねていけたらと思います。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。













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