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  • 執筆者の写真茶の湯の郷 自由な茶人コミュニティ

今月のことのは「一所透れば 千所万所透る」



こんにちは!宗心です。


あっという間に、以前の投稿から、

半年以上過ぎてしまいました。

みなさまにおかれましては、いかがお過ごしですか?


私にとって、この半年は、自身とさらに深く向き合い、

どういうお点前をしていきたいのかを見つめる時間だったなぁと感じています。


今、取り組んでいるのは、

台子・濃茶の風炉点前のみ。


なぜ、季節ごとに変わるお点前ではなく

同じお点前に集中的に取り組んでいるかというと、

ちょっとした挑戦をしております。


台子のお点前は、書道でいうと「楷書」。

一つひとつの動きも、カチっとしたものになります。


特に濃茶点前になりますので、

薄茶の時にはわからなかった、

基本となる動き、哲学や思想の部分を学び、

身体で覚えることもできます。


江戸千家流祖の川上不白が、

著書『不白筆記』でも触れているように

「一所透れば 千所万所透る」の「一所」にあたる

大切な核の部分を体現できるようになっていきたいと思っての挑戦でした。


台子・濃茶の風炉点前をすることで、

全てのお点前に通ずる核を体得・体現したいと思って取り組んでいます。


まだまだ道半ばではありますが、

毎回、お稽古に取り組むたびに、新たな発見があります。


先日は、肩衝(かたつき)の茶入れを拭いている最中に

気づいたことがありました。


茶入れを拭く際には、

左手で茶入れを持ち、畳んだ帛紗を右手に持ち、

茶入れの側面に帛紗を当てます。

そして、左手で茶入れを回しながら、右手で吹いてく動作を

5回ほど行うのです。(説明が難しいですね(笑))


いつも、この回し拭く瞬間に不安定さがありました。

回すたびに、茶入れが上下してしまう。


お点前の中で、茶入れはことさらに大切に扱われるものですので、

上下させたり、不安定にさせたりしていると

茶室全体に、心許ない感じを映し出してしまうように感じていました。


理想はわかっていはいても、

なかなかうまくいかないことが多かったのですが、

ある時、これがピタッとはまったのです。

それまでが嘘のように気持ちよく拭けるようになったのです。

そして、その瞬間に、なぜ不安定だったのかもわかったのです。


私は、いつも自分が、自分の右手でもって

茶入れを拭いている意識でいました。


ですが、違ったのです。


左手の中にある茶入れ、右手の中にある帛紗がともに、

同じ力でもって、相手を支え合うかのように、

それぞれの道具が心地よきように、私は身体を扱えばよかったのです。


何かしら片方だけの意識を使って取り組むよりも、

各々の存在に、同じだけ意識を置くとおのずと安定が生まれます。

帛紗が当たっている茶入れに。

茶入れに当たっている帛紗に。

茶巾で茶碗を拭く時も、茶巾だけを感じるのでなく、

茶碗の力も借りて、拭いている意識に変わりました。



それは、座っている時も、ただ歩いている時も同じでした。


畳の力とともに座っていて、

歩いている時も、地面に押し返してもらいながら歩いていらような感じです。


茶室のような空間にあっても、支え合っているような。

生きながらに、この世界の中に包まれて共にあるような。


これは、日常生活でも発揮されるようになりました。

包丁を使うときは、まな板の力も感じてみる。

皮むきをするなら、野菜の力も感じてみる。

ヨガのポーズをとるなら、床からの力や、

空気・重力全体があるようなイメージでとらえてみる。


そうすると、ピタッと安定して、心地よいところで

作業したり、動いたりすることができるようになりました。


そうして気がつくと、

ひとりでできていることなんて、この世に無いのだなぁと感じるようになりました。


いつも何かの力に支えられ、育まれ、

包まれ、生きてきたのだなぁと思いました。


このお話をしたところ、宗秀先生からは、

「まさに“一所透れば 千所万所透る”ね」

とお返事が。


こういうかたちの「一所」もあるのか!と思いました。

茶の湯の道からいただく至福の瞬間です。


その瞬間が日常の瞬間に繋がり、さらなる道となる。

そんな日々を過ごせることをしみじみとありがたく思う今日この頃です。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。




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